都内なのに控えめな家賃が嬉しい三河島駅

三河島駅を日常的に利用しているという人も多いかもしれませんね!
ただ、三河島駅に対して「これ!」といった明確なイメージを持っている人はあまりいないかと思います。
昔大きな事故があったくらいのことしか知らないという人も多いのではないでしょうか?
ここでは、三河島駅の歴史や駅周辺の特徴についてお話ししていきたいと思います!

三河島駅の歴史ってどうなってるの?

三河島駅の歴史というのは、周辺の他の駅と比べるととてもシンプル!
大きな事故はあったものの、それ以外で大きな変化はそう起こっていない駅と言えるかもしれませんね。
三河島駅の歴史がスタートするのは、明治38年のことです。
日本鉄道の駅として開業をします。
明治39年には、日本鉄道の国有化によって官設鉄道の駅となります。
明治42年には、線路名称制定によって常磐線の所属となります。
昭和になると、24年に日本国有鉄道が発足します。
昭和37年には、先でも少し触れましたが大きな事故が起こります。
駅構内で貨物列車と上下電車2本による三重の衝突事故が起こってしまうのです。
常磐線三河島駅列車多重衝突事故は「三河島事故」と呼ばれ、大事故としてニュースで取り上げられました。
本当に大惨事で、当時のことをまだ覚えているという人もいるかもしれません。
この大事故以降は、三河島駅で大きな事故は起こっていません。
昭和46年には、緩行線が現在の東京地下鉄にあたる帝都高速度交通営団千代田線と相互直通運転を開始したことに伴って、三河島駅は快速停車駅になります。
昭和62年には、国鉄分割民営化によってJR東日本の駅となります。
翌年の昭和63年には、普通列車が9時から16時の停車となります。
平成に入って、13年にはICカードであるSuicaの利用が可能になります。
平成16年には、特別快速や通勤快速を除く普通列車が全停車となるようになりました。
そして、現在に至ります。
三河島駅では大事故が発生したものの、それ以外の歴史というのは平々凡々としたものといえるかもしれませんね。

三河島駅周辺の特徴って?

では、最後に三河島駅周辺の特徴についてです。
三河島駅の出口は尾竹橋通りに面しています。
三河島駅から日暮里駅までの線路は弧を描くような急カーブになっているのですが、直線距離にすると日暮里駅は徒歩圏内になります。
日暮里駅以外も西日暮里駅や町屋駅といったところも徒歩でいけますね!
明治以降には、このあたりには屠殺場や皮革工場、三河島水再生センターといった下水処理場などが建設されるようになりました。
戦前戦後にかけて、こういった施設で働くために日本人だけでなく、海外からも人が移住して働くようになったそうです。
三河島駅周辺は、コリア・タウンとなっているようなところもあるのですが、まさにそういった影響もあるんですね!
コリア・タウンというと新大久保のイメージがありますが、新大久保と比べると規模も小さいですし、そこまで活気づいている感じでもないです。
ただ、騒がしすぎるよりはいいかなと思いますけどね!
高度経済成長とともに金物加工や印刷、製紙、箱工場も増えるようになり、工業地域へと変わっていきます。

三河島駅周辺の住みやすさは?

三河島駅周辺はかなり住みやすいと言えます!
というのも、主要駅まで徒歩でOKですし、アクセス面でもかなり恵まれているのです。
通常、アクセス面で恵まれていると賃貸物件では家賃もお高くなりがち・・・。
ですが、三河島駅周辺の賃貸物件は家賃が結構控えめになっているんです!
都内でもかなり良心的な家賃になっていると思いますよ。
本当にありがたいですよね。
先でもお話ししましたが、三河島駅周辺はコリア・タウンとなっているところもありますので、韓国料理屋さんがとても多いです。
韓国の方はもちろん、アジア系の外国人の方が多いので、人によってはここが不安要素になるかもしれません。
ただ、アジア系の外国人の方が多いからこそ、飲食店でも本場の味を楽しむことができるんです!
三河島駅周辺にはチェーンの外食店がそこまで多くないので、韓国料理屋さんにはかなり助けられるかもしれませんよ。

小規模なコリア・タウンもある三河島駅についてはうぐいす不動産に聞いてみましょう!